トイレの貼り紙
外国人の姿は見た事がない県内のとある場所の注意書きの類なんですけど、こんなことまで書かないとわかってもらえない世の中になってしまったんですかね。
貼り紙までするとはよっぽどのことだと思うんですけど、こういうフォーマットがあること自体現象として珍しく無くなっているのでしょうか。
初めて洋式を使った時はもしかしたら左下かもと思った記憶がありますが、右上なんかはどうあがいても用を足すスタイルではないので思いつく方がどうかしてると思います。
自衛隊の違憲性
「多くの憲法学者が自衛隊のことを違憲と言っている」から「9条に自衛隊を憲法に書き込む」という理屈ですが、憲法を変えるのでなくて自衛隊をどうかするという発想はないんですかね。
そもそも論だけど、集団的自衛権が違憲と憲法学者の多くが言っていたことはシカトしたくせに、ここで論拠にまた憲法学者を出してくるのはおかしいと思うのですが。
もっとそもそも論で、憲法を守る気がないアベちゃんのもとで憲法をいじるのはダメだと思います。緊急事態に権限を今より集めるのだって、あの感情的な人物が何をするか危なくてわかったもんじゃありません。憲法を変える議論をしていいのは少なくともアベちゃんが居なくなった時です。
パルパティーン議長にそうやった結果、共和国に軍隊が出来て戦争になったのと同じパターンのような(←スターウォーズの見過ぎ)。
過去の話
スターウォーズのエピソード1〜3を見たのですが、ご存知のように制作されたのは4〜6が先で、次に1〜3という順番です。
ここまで揃っていたらこれから初めて見るという人に「どういう順番で見たらいいか」と聞かれたら、エピソードの順にというのがいいと私は思います。
確かに映像技術の発展を考慮すると制作順に見るという意見もなるほど一理ありますが、話の展開を予備知識なしに味わうには 時系列の方がより理にかなっていると思います。
というのも、登場人物がどうなるか(一番適例が生死)は新しいものを見た後古いものを見るとわかってしまっていることがあるので展開を予想できてしまう(どうせ助かる・死んでしまう)からです。
スターウォーズのようにそういう作り方をされてリアル視聴するものは仕方ないけど、例えばワンピースのようにしじゅう過去エピソードが挿入されると「またか」という思いになってしまいにはウンザリしてしまいます。
久保みねヒャダでそういう話になったとき、ヒャダインがスターウォーズに関心が持てないのはそういうところだし、久保ミツロウはエピソードゼロ的なやつは新たに読者が増える訳でないのをわかっていて、ファンのためにやっていると言っていたのが印象的でした。
私が考える優れた作品はそのような手法をとっておらず、たとえば10シーズン以上作られたER(救急救命室)は数時間前から始まってオープニングにつながるという構成の回はあるけど、登場人物の過去を説明するのに回想映像は一切ありません。
島耕作シリーズが会長まで行ってしまったので学生島耕作というのをやっているけど、どうせ就職できるんでしょと思ってシラけてしまいます。
スターウォーズの2と3の間の出来事のクローンウォーズはそういう性質は確かにあってそこに関してはつまらないのですが、時間的に開いていて話が飛んでいるから理解を深める上で見ておくと楽しめるように思います。