レガシーと言うけれど

東京五輪の幾つかの会場新設で揉めていますが、そこでよく印籠のように「レガシーが」と出るのを聞いていると、最初は確かにそうだわなと思っていましたが、そんなに大事なのかなという気がしてきました。何かのCMにありましたけど「モノより思い出」で、ハコがどうこうより中身でないですかね。
パフォーマンスを発揮するにはいい会場であることに越したことはありませんけど、なんだか各競技団体の威信というかプライドで主張しているように思えてきました。


平等の観点からこういうことを言うのはいけないことですけど、水泳は活躍が期待される(実績もある)のでそれなりの会場でいいと思いますが(主張の根拠ありという観点からも)、ボートやバレーボールは残念な結果になりそうな予感がするのにそこまで大声で言える理由は何なんだろうと思います。
海の森は海水なので淡水仕様のボートが傷むからオリンピックは仕方なくそこでやってもその後はみんな進んで利用するんですかね。競技大会そのものや練習も淡水会場でばかり開催されているようなので、使うとしても別の人達なんでないでしょうか。もしくは誰も利用しないとか。
バレーボールも国際大会は日本で多くやって会場はあれだけ超ホームなのに勝てないのに、オリンピックが東京でも同じ気がします。

 

北京五輪の鳥の巣も誰も使ってないとテレビで見ましたが、作ると自動的にレガシーになるもんでないことの証明なのではないでしょうか。おまけにあそこでは数々の名勝負が繰り広げられたにも関わらずそうなってないですし。

 

レガシーって言葉は土建屋とその周辺が作り出してそれとなく言い出した言われても仕方がないような。

偶像崇拝のように対象物があった方がわかりやすいけど、そういうのはそれぞれの心の中にあるのが精神性は高いんでないんですかね。

オリンピックの思い出って画面で切り取られた映像ですね、自分は。