師匠がいなくなるということ

師匠も生きてるし弟子がいるので中堅の落語家と言っていいかもしれない(だいぶ若いけど)春風亭一之輔ががラジオに出てたのですが、 どっちの立場も想像がつくのでする側もされる側も考えられないと 言ってました。もちろん角界と落語界とは違いますけど。
落語界では真打ちより下の身分(前座と二つ目)の場合、 多くの場合は師匠が亡くなってしまったらなんですが、 師匠がいなくなったら他の師匠につかなくてはいけないという決まりがあって、その際は芸名も変えなくてはいけないんですよね。
名が知られた方の例でいうと、林家木久扇は入門したのは桂三木助だったので桂木久男だったのが 没後に林家正蔵(先代) の弟子になったから林家木久蔵と改名しなくてはいけませんでした 。
談志の場合は師匠の柳家小さんの方針が気に食わなかったので弟子 を連れて一門から抜けて新たな派を立ち上げたという形ですが、 亭号(柳家とか古今亭) はこれも一門があってその中にあれば師匠と違ってもいいし、 すでに真打ちだったから立川談志と名乗ってたのであって直接関係 はありませんけど。
落語みたいに座布団だけあればどこででもやれるのと違って相撲は土俵がないとできないから貴乃花はそういう手段は取れませんよね 。 床山とか行司とか関わる人も多いのでその方々を揃えるだけでも難 しそうです。そういえば私がよく聴きに行っている頃の立川流のお囃子はテープのことが多かったです。
かといって自分だけ辞めるのがいい方法とも思えないけど。