教育勅語

今まで生きて来て教育勅語という言葉に出くわすのはは教科書に出てくる程度だと思います。

「勅」は「勅選」という言葉もあるように、天皇の行為を示しているということでしょう。

私もそれくらいの認識でどんな内容なのかはさっぱりなのですが、過去に何度かちょっと近づいたことがあります。

 

最初は小学生の頃だったと思いますが、壇上に登る際に先生がいちいち誰もいない何もないところに礼をしているのが不思議で尋ねたことがあり、その答えが以前は壇上の壁の中に教育勅語があって、それに向かってお辞儀しているのだという答えでした(正しくは御真影だと思います)。

 

2度目は予備校の授業で「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」(本当は書き下し文はカタカナで濁点はありませんが)という教育勅語の一節の「(緩急)あれば」は仮定だから本来は「あらば」と未然形にしなくてはならないけど、時の帝(明治天皇)が発したので誤りと言えずそれを合っていることにしたという話です。これは反論も一部であるみたいですが。

 

宮台真司が言うには、教育勅語とはそういう存在なので本来は校長先生が節をつけて唱じるのをこうべを垂れて拝聴するというのが当時の正しいやり方で、園児に唱えさせてるのは不敬にあたるそうです。

 

いろいろな教育方法があってもいいと思いますが、ここはそういうのとは違ううわべだけでカルト教育なんでないでしょうか。本当の右翼の方々が怒ると思います。