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「記憶にない」問題

私達が日常生活を送る上で、過去の記憶を辿ることはよくすると思いますが、そこでは「覚えている」と「忘れた(覚えていない)」のどちらかではないでしょうか。

自分自身にしか関係ない場合、例えば先週見たドラマの内容とか読んでいる本の登場人物だと自分の心に正直に「忘れた」と答えることができますが、友人との約束や仕事などで「忘れた」と言ってしまうと信用を無くすことにつながりかねないので「電車が遅れた」とウソをついたり「時間がないのでまだ全部できていない」といい訳を考えるのに全精力を注ぐ方向にシフトするんでないでしょうか。

体面を重視する年齢や地位になるほど正直に言えなくなるような気がします。

性悪説ともとれますが、私は100%正直に「忘れた」と言うわけではないことを告白します。

なので記憶だけに頼らぬよう、常にメモやノートを家の中で持ち歩いていますが。

 

そこで思うのが「記憶にない」はどっちに分類されるかですけど、とりようによってはどっちにもとれる便利な表現だという気がします。

外国人が日本語を学習する際に、覚えておくと便利な表現のひとつにしていいかもしれません。

 

会社で「記憶にない」というとどうなるかわかりませんが。

 

ロッキード事件で、小佐野賢治が証人喚問で使ったのが有名だと思っていましたけど、ウィキペディアによれば『記憶「が」ありません』『記憶「は」ございません』のどっちかだったそうです。

 

それにしても、以後「記憶にない」と言っとけば大丈夫みたいな風潮になってしまったのは残念です。

 

昭恵夫人は100万円の授受について最初は「記憶にない」と言っていたのに、Facebookでは「ありません」と断定になったのは官僚の作文説もありますが、おかしいと思います。

 

そもそも、割と最近にブログに一度書いたことすら覚えてないことも多いんですが、そんな私とは比べ物にならないくらいにすごく多忙であちこち行ったりいろんな人と話をしているような人が過去の出来事(もらったもらわない)を断定調で言えるのは私から見たらマユツバですけどね。

読書で言うと、何千ページも読んで細かいとこって覚えてるもんでしょうか。

勉強みたいに何度も繰り返しているんだったらだんだん記憶に定着していくもんですが、大抵のことって忘れていくもんですよ。

 

それに、よく経験しますが「思い出補正」と呼ばれる、実際とは違う風に記憶を修正(よくも悪くも)してしまうこともあり、記憶って本当は当てにならないということは大人だったらみんな知っていると思います。

「記憶とは自分にとって都合のいい物語である」という言葉を誰かが言っているそうだけど、本当にその通りだと思います。

 

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