江戸時代や明治時代の庶民は着物を着ている人が多かった(江戸時代は特に)ので演者が着物を着て落語を話すのは当たり前だったけど、現代はお客のほとんどが洋服なので演者も洋服を着ていいんでないかと言っている落語家をテレビで見たんですが、私の考え方が古いのかもしれませんけど、だったら落語を話さなくていいんでないのという気がしました。
落語は確かに昔が舞台の話ですが、それは手段であって本質は違うところにあると思います。なので外見がどうとかいうのは雰囲気的なものであまり関係ないような。
毛深いのでそれに気を取られるという声があったから腕の毛を脱毛したという方もいたけど、言う方も言う方だし、はいそうですかと言ってそこまでやるもんなんですかね。私はどっちもおかしいと思います。
談志は若い時に書いた著書で、着物を着て新作をやっている落語家がいるが必要性があるのかと疑問を呈していましたけど(個人的にはそこまでは思いませんが)。
新しいものとか誰もやったことがないことをやりたいという考えはわからないでもないけど、方向が違っているような。
本当に上手いなあとかいいなあと(私が)思う人はそんなごちゃごちゃしたことをやっていませんけど。
別に談志教信者ではありませんが。